伊那谷への同期4人旅(光前寺、高遠、元善光寺)
社会人になったばかりの頃は、よく会社の同期と出かけていた。大学までずっと東京に住んでいて、初任地は名古屋だったので、伊良湖岬とか知多とか三河湾とか三重の方とかに出かけたし、ちょっと足を延ばして京都まで行ったこともあった。
それから早くも30年ほどが経ち、いま名古屋にいる同期4人でどこかに行こうという話になった。高速道路版フリーきっぷのようなドライブプランを使って、伊那の方に行くことに決まる。
昨日朝8時、車を出してくれる同期の最寄り駅に集合する。天気は快晴。同期の1人は飯田の出身なので、道中いろいろ教えてもらう。
中央自動車道が、多治見あたりのリニューアル工事で混んでいて、11時頃に駒ヶ根に着いた。ドライブプランに付いている3000円分のチケットを観光案内所に受け取りに行き、そのままチケットが使えるソースカツ丼のお店に行く。「明治亭」という有名店で、開店直後なのに何組も待っている。
席について注文してしばらくすると、山盛りになったカツとキャベツで、蓋が半開きになったソースカツ丼が到着する。伊那名物のソースカツ丼を食べるのは2回目だが、前回は量が多すぎて食べきれなかった。甘めのソースがかかっていて、とても美味しく、今回は完食する(写真)。
食後は、車ですぐの光前寺に行く。貞観2(860)年創建という古刹で、霊犬早太郎の伝説が伝わる。
遠州見付天神社で、神に人身御供を捧げる風習があり、これを訝しんだ旅の僧が見届けると、ヒヒの化け物が現れて「信州の早太郎はおるまいな」と言って、人身御供をさらっていった。僧は、光前寺に早太郎という山犬が飼われていることを知り、借り受けて化け物と戦わせた。早太郎は見事、化け物を退治したが、重傷を負い、光前寺に帰って一吠えすると息絶えた。
そういえば、静岡県磐田市にも「しっぺい太郎」という同じ伝説があり、磐田市には「しっぺい」という犬のキャラクターがある。犬の名前は違っているが、「疾風太郎」とすれば、「しっぷう」とも「はやて」とも読めそうである。
光前寺の境内には、早太郎の墓があり、文化5(1808)年再建の三重塔の前には、早太郎の像が建つ(写真)。享和2(1802)年に建てられた経蔵には、化け物退治のお礼に贈られた大般若経が納められている。犬の入れ物に入ったおみくじを引くと「吉」が出た。
本坊の裏には、滝が流れる庭園がある(写真)。鯉の滝登りをイメージした石組みになっているようだが、今日は寒いせいか、池の鯉はひとかたまりになって、底の方でじっとしていた。
駒ヶ根から伊那市に移動し、次は高遠城址に行く。高遠町歴史博物館に車を停め、絵島の囲み屋敷に行く。将軍・徳川家宣の正室・天英院と側室・月光院の対立で、月光院側の大奥年寄(といっても30歳そこそこ)・絵島が、芝居見物で門限を破ったことを咎められ、この地に幽閉された。
現在の建物は、当時の図面をもとに復元されたものだが、絵島の部屋には、格子が付いていて、塀には忍び返しがある。博物館には、絵島が使った香炉や戸棚などが展示されている。高遠藩は、絵島の赦免を願い出たが、赦されることはなく、絵島はこの地で30年ほどを過ごして亡くなった。
高遠城址に行くのは4回目。桜の時期に来たこともあるが、今回は紅葉がきれいだった(写真)。藩校の進徳館にも立ち寄る。高遠城については、別に詳しく書こうと思う(→https://yagopin.seesaa.net/article/505904135.html)。
私と同様、ダムカードを集めている同期がいるので、高遠町歴史博物館の裏手にある高遠ダムと、国道152号を少し南に下ったところにある美和ダムに行く。高遠ダムからは、勢いよく水が放流されていた(写真)。
秋の日はつるべ落とし。16時を過ぎると伊那谷はだんだん薄暗くなってきた。伊那ICから座光寺スマートICまで下って、最後に元善光寺に行く(写真)。
元善光寺は、善光寺を創建した本多善光が生まれたところで、善光は、難波の堀江で発見した善光寺如来を、最初は自宅の臼の上に安置したという。その臼が光り輝いたため、自宅を坐光寺としたのが、元善光寺のはじめである。その後、善光寺如来は勅命により現在の善光寺に遷されたが、善光寺と元善光寺の双方に詣でなければ片詣りとされるのだそうだ。
帰りはやはり工事のために飯田付近が渋滞していたので、昼神温泉の先の園原ICから帰る。
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